共感

 

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視覚と聴覚をフルに使って映像を楽しむ映画館という場所において、嗅覚だけはキャラメルポップコーンに独占されてしまう実情に、なんともやるせない気持ちになってしまう。家で映画を鑑賞できるサブスクとの差別化を図る。という意味でも作品内の薫りまで体現できるシステムの開発こそが、縮小を続ける映画業界の急務ではないだろうか?

 もっと端的に言えばキャラメルの匂いが嫌いな人を映画館は排他的に取り扱っている。


 わずか58分の映画に泣かされてしまった。左から一滴、右からは二滴流れた。涙は目尻から頬を伝って筋を引き、ポタリと落ちた。涙を拭わずに静かに泣いた。左の友人に見られたくないから。本当は鼻も啜りたかった。

 開始5分で既に喉の奥が熱くなってた。クライマックスに三滴泣いた。藤本タツキ、好きだった女の子、又吉直樹。いろんな巡り合わせで膨らみ続けてた期待と関心が弾けた瞬間でもあった。

 ただ、泣いた理由の大部分は今まで他人と比べ続けて俺が生きてきたからだ。小学生の頃から他人と比較して勝手に落ち込んでたから。なんでこうも違うのか?と分析して努力できていた過去があるから。大多数の人がそういった苦く、情けない経験を持っているだろう。俺だけがそんな感情を抱いていたとなるとなおさら情けないから、みんなもそうだったよね?と問い掛けたい自分がいて。


 大それた努力はしていないものの、過去には確かに負けん気があった。努力できていた。

 努力すること。努力し続けること。それは時間を味方に付けるということでもある。又吉直樹に曰く、努力とは「時間というドーピングを使う。」ことだという。特に若いうちは有り余る時間を使って何事かに打ち込めば、おのずと結果が付いてくるという。言葉では分かっていても、実際にそれほどの集中を維持できるかということはまた別の話ではあるが…


 このルックバックという作品と相対し、感じたことは「他人との比較することの価値」と「努力し続けること」の二つに集約される。月並みな感想に呆れてしまうものの、やはり俺の心を動かす作品は「忘れてしまった感情を掘り起こされる」という一貫性を携えているようだ。

 「作者が作品に込めたメッセージを答えなさい」という国語のテスト問題のように製作者側の意図を読み取ることは、さして重要ではなくそれを語る必要もない。唾棄すべき野暮な行為だとさえ思う。消費する側が何を感じたのか。ただそれだけでいい。

 比較して、比較されて努力する。課題は時間が解決してくれる。そんな作品からのメッセージと自己の追想で泣いた理由のウェイトを比較した場合、自己の追想が大多数を占めていると分析する。いわば作品を観ながらパラで追想して、自分の現状を憂いて泣いたのである。ただ、ウェイトは低いものの、その涙のドアを叩いたのは間違いなくこのルックバックという作品である。ありがとう。


 内容についても語りたいもののネタバレ無しの感想にしたかったのでどうしても無味乾燥な文章になってしまった。わずか58分に対して1700円も払うことに最初は抵抗を感じたものの、視聴後には満足して退館した。友人と感想を語り合いたいような、一人で考え込みたいような、形容しがたい感情を抱きながらエスカレーターに運ばれて映画館を後にした。


 他者と比較したことがある、または幼少期にそれなりの努力をしたことがある人の心には響く映画、ルックバック。誇張気味ではあるものの、この心に響く条件を満たさない人が果たしてこの日本にいるのだろうか?


 映画の感想から一転し、大局的な話へ進むが、「共感」という言葉はエンタメを評価するうえで一つの指標になりつつある。私自身も今回の感想は作品に対する「共感」という軸を中心に語らせていただいた。

 私がこの言葉をエンタメを評価する軸に据え始めたのは、5年近く前に「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というSF小説の金字塔を読んでからである。簡単なあらすじを述べると、人間の生活に紛れ込んだ人型アンドロイドをアンドロイド専門のバウンティハンターが見つけ出してお金を稼いでいく話である。

 その作品内で、アンドロイドと人間を区別するために使われる重要なワードこそがこの「共感」という言葉であった。

人を人たらしめる最も大切な感情として共感性が扱われており、この本に影響を受けて私も「共感依存」の批評家に成り下がってしまった。

 ただ、この共感を重視しすぎる世間の流れに対しても又吉は苦言を呈している。(7分25秒〜)

 

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 この又吉の発言も言ってしまえば共感を軸にした批評家に対してメタの立場を取ったというだけの話である。大それた話ではないと一蹴する人をいるだろう。

 しかし、この視点を太い軸として作品と向き合ってきた俺には大変効果のある薬となった。

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。