6月末に上映されるとあるアニメ映画について

 私は6月末に上映されるとあるアニメ映画の上映を心待ちにしている。その映画は話題の一線級漫画家が描いた短編漫画を原作としているため6月末上映と聞いて既にピンと来ている人も少なくはないだろう。
 普段アニメも映画も漫画もほとんど見ない私が、どのようにしてその映画の公開を心待ちにすることになったのか。そのきっかけを語らせていただきたい。


 突然だが、私はお笑い芸人ピース又吉直樹の小説が好きだ。「火花」「劇場」「人間」の三作と後述する「その本は」 という短編集の合計4作を読破している。先に述べた三作は20代前半の「お笑い芸人」「劇作家」「 物書き」というような「表現者」が主人公として据えられている作品で、 どれも若者ゆえに抱く懊悩や煩悶を描いている。
 奇抜な展開こそ少ないものの他人と自分を比較しがちな主人公が、高いプライドゆえに徐々に言動が荒んでいき、 堕落していく作品を得意としている。
 その特徴はなんといっても主人公が話す関西弁だ。どの作品の主人公も関西弁で話す。さらに表現者の卵という設定のため、読者はその主人公を勝手にお笑い芸人又吉直樹のイメージに置き換えて読み進めてしまう。これには賛否あると思うが、 顔の知れている「芸人」 としての特権をフルに利用した小説という点が彼の作品への親しみやすさへ影響していると考えている。

 しかし、それを差し置いても彼の表現者としての言葉の選び方と独特な切り口は特筆すべき点があり、作品を次々と読みたいという気持ちにさせてくれた。

 そんな彼が更新を続けているYoutubeチャンネル「渦」も好きだ。小説に限らず、漫画やアニメ、映画まで様々なコンテンツについて独自の感性と喋りのリズムによ ってその魅力を存分に語ってくれる。

 そのYouTubeチャンネルを見ていると、彼がとある漫画について語っている動画に辿り着いた。
夜の公園、帰路に就く車のエンジン音。脇にあるベンチに腰を掛ける。彼は訥々とその漫画のあらすじを語り始める。

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 4コマ漫画を描くのが得意な小学四年生の女の子F。学年新聞で4コマ漫画を連載しており、 その漫画の構成が面白いとクラスで評判になっている。

 そんな中、同じクラスで不登校の女の子Kにも学年新聞で4コマ漫画を描いてもらうことになった。と先生に告げられる。FはKに対して、自分の持つ4コマ漫画に対する矜持から、登校することもできないような人が4コマ漫画を描けるのか?と嘲る。

 しかし、初めて掲載されたKの4コマ漫画は充分な出来であり、さらに特筆すべき点が1点あった。絵が特に巧いのだ。 Fの絵よりKの絵のほうが巧いことに対してクラスの中でも比較され、クラスメイトが持っていたFへの関心が薄れてしまう。Kは学校に来ていない間、絵の練習をしていたという話までクラス内に広まり、称賛の声を浴びることになった。
 そのことに対して気を落とすFはクラスで4コマ漫画を連載するという唯一無二の特別なポジションを与えれていたはずだった。 それは他のクラスメイトと比較しても漫画に触れてきた時間が誰よ りも多く、見えない努力をしてきた結果だ。それに対して突如としてあらわれた別の角度の天才によって、今までの努力で手に入れた地位が脅かされていく。 それがどれだけ怖いことだろうか。 小学4年生の小さな表現者2人が向かう未来とは…

 この動画に出会う少し前の2022年。世間は「チェーンソーマン」アニメ化の話題で持ちきりだった。
 普段アニメも漫画もからっきしな私だが、このチェーンソーマンだけはアニメ放送前に第一部を全て読み込んでいた。当時、 作者である藤本タツキの大ファンの女性に想いを寄せており、 少しでも話のタネにしたい。というよこしまな考えがチェーンソーマンを読み始めた動機だった。 古典的な手法であることを自覚しつつも2度会う機会を設けるためだけに彼女からチェーンソーマンの第一部を拝借した。
 内容や構成の面白いところ、穿った視点をメモに取り、その娘との会話で盛り上がるためだけに3周も読んだ。
 3周読んだにも関わらず、 私はチェーンソーマンを好きになれなかった。読者が置いてけぼりを食らう展開の数々と言葉足らずに感じてしまう設定が私の好みではないという結論に至った。
 好みではない漫画の面白いところを必死に取り繕い、彼女の前で身振り手振りで話を合わせた私は、その時に飲んでいたマックのコーヒーの苦みを生涯忘れることはできないだろう。代表作が口に合わず、 そんな苦い経験も経ていたため藤本タツキへの印象は良くなかった。


 又吉の動画を視聴した後に、また又吉の小説を読む機会があった。インスタグラムで度々話題に上がっていた話題作だ。

 その作品とは「その本は」という短編集で、絵本作家ヨシタケシンスケとの合作だ。又吉とヨシタケシンスケの二人が「その本は○○」 という書き出しから、その特別な本にまつわる小さな物語を交互に綴った短編集。この短編集こそ、6月末に上映されるとあるアニメ映画を見たいと思わせてくれた発端である。

 

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 短編集のなかでもとりわけ文字数が多く、本の骨格というべき中盤に綴られている又吉の作品が私の心を強く揺さぶった。それを読み終わった私は、孤高の作家である又吉直樹の芯が藤本タツキによって曲げられた姿を目の当たりにした。嘲笑とともに吹き出すような息が漏れて、持ち上がった口角から思わずこんな言葉が零れ落ちた。

「嘘だろ…又吉」と。


「その本は誰も死なない。」から始まる短編で、小学4年生の男の子が主人公。クラスで一番絵が上手く、 将来は絵本作家になると豪語していたその子の絵は、月に1度、 クラスで一番上手な絵が張り出される掲示板の常連となっていた。

 そんな日々が続いたとある日、クラスに転校生が来る。その転校生の女の子は自己紹介の際、なんと将来は絵本作家になると口火を切ったのだ。その娘が授業で描く絵はクラスでも評判となっていった。突然同じ夢を持つ女の子が表れて、自分の絵が掲示板に掲載され続けることが怪しくなった主人公…

 

 お分かりいただけただろうか。 彼が動画内で絶賛していた藤本タツキの短編漫画と設定が瓜二つなのである。その藤本タツキの短編漫画の掲載は2021年7月、又吉の動画配信日は2022年5月、この本の初版刊行は2022年7月。
やっちゃいけないことを又吉はやってしまったのではないか? そうやって一歩引いた立場からその作品を読み終えた。
 結論から言うと、この短編小説のストーリーは藤本タツキの漫画の展開とは異なっていた。 ライバルではあるもののお互いを認めあう仲になり、彼女の提案で交換絵日記を始めることになる。そこからは交換日記による文通スタイルでお互いの内情を探り始めてゆく。
 この本全体のテーマ「その本は〇〇」に該当する書き出し「 その本は死なない」の伏線も巧妙な仕掛けで回収してくる。
 短編でありながら、少年・少女の持つ純朴さと無力な翳り、 結末の曖昧さに私は胸を打たれた。 設定と構成と舞台装置のすべてが私の小説に求める全てを射抜いていた。この短編に感銘を受けた私は図書館で借りた「その本は」 を返却し、その足でそのままブックオフへ向かった。 それほどまでに面白いと思える短編小説と出会えたのだ。

 

 手元に置いておきたいと思える本に出会い、感嘆の息を漏らすために私は本を読む。広義にはコンテンツを消費する。それは小説もアニメも漫画に対しても同じことだ。
確かに「その本は」は手元に残しておきたいと思えるものだった。
 しかし、 設定が藤本タツキの短編漫画と酷似している点がやはり気にかかる 。又吉作ではあるものの、あの動画を見た後だと設定を拝借している曰く付きの作品であると言わざるを得ないだろう。さらに又吉の作品の特徴でもあった主人公が使う関西弁がこの作品には一切使われていないことも露骨にこの作品の特殊性を物語っている。

 となると、その短編漫画を読んでみて、その成行や結末を知りたくなっている私がいた。
 あの好みじゃない藤本タツキからここまで秀逸な設定が飛び出してくるのかと怪訝な表情を浮かべてしまった。

 であれば、せめて又吉に影響を与えた彼の短編漫画を読んでみたい!と考えていたときに、 ネットサーフィンをしていると衝撃の広告が目に飛び込んできた。 2024年6月末にアニメ映画となって上映されることが決定していたのだ。


その短編漫画のタイトルは「ルックバック」

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 又吉が影響を色濃く受けた作品、私が足蹴にした藤本タツキが書いた作品。これを視聴したあと、私は何を思うのだろうか。映画に対して、ここまでの期待感を持つことは初めてだ。
 6月28日劇場公開。 又吉と小説が好きというニッチな層に向けて発信させていただいた。その層には「その本は」 を読んだ後に視聴することを強くお勧めしたい。

 原作の短編を読んで劇場に向かうべきか?未だに私は頭を悩ませている...

 

https://m.youtube.com/watch?v=J-NQum802Kk